沖縄の神秘的な文化「針突(ハジチ)」。かつて女性たちの手に刻まれたその模様は、何を意味し、なぜ今では姿を消してしまったのでしょうか。
本記事では、沖縄の伝統刺青文化「ハジチ」の起源・背景・現代とのつながりを解説し、失われた文化にどう向き合うかを考えます。
琉球王国時代の幻の風習「ハジチ」
針突(ハジチ)は、その名の通り針を数本束ねた道具で女性の手や腕に刺青を施す、琉球王国の時代から沖縄で行われていた伝統文化です。
当時の沖縄の生活風景を残した貴重な資料の中には、多くの女性の手に丸や三角、ひし形など様々な模様のハジチを確認することができます。
男性の手には見られず、女性の手だけに施されていること、地域や島によって模様が違うこと、今では見ることのできない幻の風習、そしてそこに込められた想いも重なり、神秘的な伝統文化として再び注目されています。
琉球に根づいた独特な様式
ハジチは、現在の鹿児島県奄美諸島から沖縄最西端の与那国島まで、琉球時代の各地域の女性たちの手に刻まれていました。
ハジチを刻むのは必ず女性のみで、男性には同様の刺青は見られません。
年齢・人生の段階によって施されるハジチ
様々なケースがありますが、初めてのハジチを施すのは7、8歳の頃で、中指と薬指の付け根あたりに小さな楕円形の紋様を刻みます。その後、17、8際になるとその上から指先に向かって鏃(ヤジリ)形の紋様へと形を広げ、結婚前後に至るまでに手の甲に丸やイチチブシ(五つ星)を模した紋様を入れ完成形としました。
ハジチの紋様や入れる時期については、土地や時代によって様々ではありますが、基本的には成人に伴い、手首や手の甲に施されるものでした。
施術後には親戚や知人から、一人前の女性になった喜びを祝ってもらい、訪れた者はそのハジチを見て「見事ですね」と声を掛けてあげるのが礼儀の1つでもあったそうです。
古琉球から受け継がれた伝統文化
ハジチの起源については記録が残っておらず定かではないのですが、古くは1534年、明王朝から派遣された冊封使の「陳侃史録」という書物に、琉球の女性たちの手の甲に花草や鳥獣の紋様の刺青があったことが記録されています。
刻まれている紋様に文字が含まれていないことからも、琉球に文字が普及する以前の、遠い昔から伝わる風習であったことが分かります。
女性たちの手に刻む想い
ハジチには、厄払い、婚姻や成人の証し、極楽浄土願望など様々な想いが込められていました。
ハジチを入れないまま亡くなってしまった女性の手に、ハジチの紋様を筆で描き納棺したという話しもあり、現世と来世を繋ぐ永世の信仰の証しでもありました。
「ヤマト」へ攫われるのを防ぐために刻まれたハジチ
興味深い思想としては、「大和(琉球王国外の日本)へ攫われるのを防ぐため」というものがあり、琉球時代のお姫様が大和の領主に攫われた際に手の甲にハジチを刻み、それを見た領主が驚き王女を琉球へ帰したという伝説も残っています。
単に美しさを取り去るためということでは無く、琉球王国の民であることのアイデンティティの表れとして、女性たちの祈りと誇りが込められたものでした。
歌にも現れたハジチへの強い想い
また、琉球時代の歌には「夫欲しさもひととき 妻欲しさもひととき ハジチ欲しさは 命かぎり」「お金はあっても あの世までは持って行けぬ わたしの手にあるハジチは あの世までも」などの歌詞があり、当時の女性たちのハジチに対する強い想いが伝わります。
失われたハジチの想いを今に伝える
残念ながら、琉球時代から繋がれてきた生きたハジチを、現代の沖縄で見ることは叶いません。
1899年、明治の日本政府はハジチを「野蛮な風俗」とみなし、沖縄を日本と同化させるために禁止令を出しました。
沖縄に深く根づいていたハジチ文化は、その後も隠れて行われたりしていましたが、規制が厳しくなるにつれ徐々にその姿は消えていったのです。
ハジチ文化を次世代へ語り継ぐ試み
1970年代後半、ハジチ文化を次世代へ語り継ごうと、沖縄県内の各地域の教育委員会がそれぞれの地域におけるハジチ調査報告書を作成しています。その頃には、存命されているハジチ保持者の方々は少なくなっていましたが、当時の貴重なインタビューなどが残されており、失われた伝統文化へ想いを馳せることができます。
現代の沖縄に見られるハジチ復興の動き
現代の沖縄では、沖縄女性のアイデンティティや文化を象徴するものとしてハジチを復活させようという動きもあり、ハジチを施す若いタトゥーアーティストの方も増えています。
かつて、琉球の女性たちの手に刻まれたハジチは、時を経て現代の沖縄にその想いと誇り高きアイデンティティを蘇らせ、新しい沖縄へと繋いでくれるアイコンの1つとなっています。
参考文献
小原一夫(1962)『南嶋入墨考』筑摩書房
市川重治(1983) 『南島針突紀行―沖縄婦人の入墨を見る』那覇出版社
沖縄県伊江村教育委員会(1978) 「伊江島のパジチ調査報告」
糸満市教育委員会(1982) 「糸満市のハジチーハジチ調査報告書ー」
名嘉真宜勝(1985) 「南島入墨習俗の研究」