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「沖縄の文化」特集一覧

世界を繋ぐ架け橋になる――「万国津梁」の精神

2025年6月23日の「慰霊の日」に行われた戦後80年沖縄全戦没者追悼式。
戦後80年という節目の年となる2025年の式典の中で玉城デニー沖縄県知事が読み上げた平和宣言には「万国津梁」の文言が入っていました。

かつて琉球王国が掲げたこの言葉は、沖縄の地理的・歴史的特性を象徴し、「架け橋」としての精神を表しています。異なる文化や民族を結び、交易を通じて共存と平和を追い求めてきた琉球の精神は、現代の沖縄においてもなお、大切な価値として息づいています。

平和を希求するこの言葉が、なぜいま改めて語られるのか。その背景には、戦争の記憶を未来へつなぐだけでなく、多様性と共生の理念を持って世界と向き合おうとする沖縄の強い意思が込められています。

今回は、「万国津梁」という言葉に込められた歴史的背景とその現代的意義について、あらためて紐解いていきます。

戦後80年平和宣言

改めて戦後80年平和宣言の該当箇所を見てみましょう。

(前略)いまこそ、先人達から脈々と受け継いできた「万国津梁」の精神により、国際社会とともに恒久平和の実現に貢献する役割を果たしてまいります。 (中略)
先う人や達ぐゎんすから受き継ちなじちゃる「万国津梁」ぬ精神ちむだましむっち、世界しけーぬ恒久なげーさ平和みるくゆーぬ実現そーぐとぅんかい貢献やくだちぬないる役割どぅーめーん、くぬ後あとぅん真摯まぐくるさーに果しーなちいちゃびーん。」

(沖縄県「戦後80年平和宣言(令和7年)」https://www.pref.okinawa.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/404/sengen.pdf)

県民の思いを反映した戦後80年の平和宣言

平和宣言は、「戦没者のみ霊を慰め、戦争体験を継承するとともに、恒久平和の実現に取り組む決意※」として、毎年6月23日に行われる沖縄全戦没者追悼式の中で歴代の県知事によって宣言されてきました。
※沖縄県「戦後80年沖縄全戦没者追悼式における平和宣言」への県民意見の概要について(公表)」
https://www.pref.okinawa.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/404/01_kenminiken.pdf

戦後80年という節目の年である2025年の平和宣言は県民から意見を広く募集し、県民の思いを反映する形で作り上げられました。この「『万国津梁』の精神」も県民意見によって盛り込まれたものです。

「世界の架け橋」を意味する万国津梁

津梁とは元来「渡場の橋」や「物事の橋渡し」を指す語。つまり、万国津梁とは「世界の架け橋」を意味します。これは、琉球王国の高邁な国家理念として、琉球・沖縄の地が東アジアの文化交流と交易の中心地として繁栄していたことが反映された言葉です。

その根幹となる思想は第一尚氏王統の時代にまで遡り、現在でも残っている琉球王国時代の鐘「万国津梁の鐘」(旧首里城正殿鐘)にも刻まれています。

万国津梁の鐘

旧首里城の正殿にかけられていた鐘が、通称「万国津梁の鐘」(旧首里城正殿鐘)。この鐘は1458年に尚しょう泰たい久きゅう王おうの命により鋳造された和鐘。沖縄戦で消失・破壊されることなく現存している国指定の重要文化財(1978年に指定)です。

万国津梁の鐘(旧首里城正殿鐘)

その鐘には

「琉球国は南海の勝地(=良いところ)にして、三韓の秀を鍾め、大明を以て輔車となし、日域を以て唇歯となす。此の二の中間に在りて湧出する蓬莱島なり。舟楫を以て万国の津梁となす※」
※現代語訳:琉球国は南の海のとても良い土地であって、朝鮮半島のすぐれたものを集め、中国とは車輪とその添え木のような深い関係になり、日本とは唇と歯のような深い関係になり、この二国の間にあって湧き出した楽園である。船をもって多く万国の津しん梁りょう(=架け橋)となる

という内容が刻まれていました。

【原文】
琉球国者南海勝地而
鍾三韓之秀以大明為
輔車以日域為唇齒在
此二中間湧出之蓬莱
島也以舟楫為万国之
津梁
異産至宝充満十
方刹地靈人物遠扇和
夏之仁風故吾
王大世主庚寅慶生尚泰久茲
承宝位於高天育蒼生
於厚地為興隆三宝報
酬四恩新鋳巨鐘以就
本州中山国王殿前掛
着之定憲章于三代之
後戢文武于百王之前
下済三界群生上祝万
歳宝位辱命相国住持
溪隠安潜叟求銘々曰
須弥南畔 世界洪宏
吾王出現 済苦衆生
截流玉象 吼月華鯨
泛溢四海 震梵音声
覚長夜夢 輸感天誠
堯風永扇 舜日益明

戊寅六月十九日辛亥
大工藤原国善
住相国溪隠叟誌之

「万国津梁」の背景

「万国津梁」の理念が成立した15世紀、琉球王国は国際商業活動の最盛期である「大交易時代」を迎えていました。この時代の琉球王国は東アジアの交易圏において中継貿易を行うことで経済的に繁栄していったのです。

中継貿易を通して経済的に発展した琉球王国

中継貿易とは、輸入した貨物をそのまま再輸出する貿易の方法(加工した上で輸出する場合も)。当時の琉球王国は中国から優れた商品を大量に輸入し、それを近隣諸国へ輸出すると同時に、日本や東南アジア諸国から、中国へ持ち込むための商品を調達していました。周辺諸国の間に位置する琉球国の地理的な利点を活用して、東アジアの諸国を緊密に結ぶネットワークの中心地して欠かせない地位を築いていたのです。

万国津梁の鐘に込められた仏教思想

津梁という語は先述の通り「渡場の橋」や「物事の橋渡し」を意味する語ですが、仏教の世界観において「人々を煩悩の海から救い出し、悟りの境地である彼岸へと導くための導き手や渡し舟の比喩としても用いられます。

万国津梁の鐘に刻まれた銘文は、相国寺の渓隠(渓けい隠いん安あん潜せん)という僧侶によるもの。銘文の中に「為興隆三宝報酬四恩(=三宝〔仏・法・僧〕を興隆し、四恩〔父母、衆生、国王、三宝〕に報いるため)」「下済三界群生(三さん界がい〔=欲よっ界かい、色しき界かい、無む色しき界かい〕の衆生を救済する」とも刻まれている通り、仏教の加護によって国内の統治と安寧を願ったことも指し示していると言われます。

現代に生きる「万国津梁」の精神

このように、琉球王国の精神として歴史に刻まれた万国津梁は、現代の沖縄にも息づいています。沖縄県はその地理的・歴史的な優位性を活かして、この万国津梁の精神は単なる過去の再現ではなく、持続的な国際交流と発展を目指す未来志向の概念として捉えているのです 。

沖縄県地域外交基本方針

たとえば、沖縄県地域外交基本方針。
現在定められている沖縄県の地域外交の理念は次のとおりです。
「新時代を切り拓き、世界の平和構築や相互発展、国際的課題の解決に貢献する『21世紀の万国津梁』を実現する」

この理念に基づき、アジア太平洋地域の国際平和協力拠点、国際交流拠点の島としての役割を果たし、「21世紀の万国津梁」を実現すべく様々な取り組みを行っています。

九州・沖縄サミットのメイン会場「万国津梁館」

また、2000年に行われた「九州・沖縄サミット首脳会合(G8サミット)」のメイン会場の名前は「万国津梁館」。

万国津梁館

万国津梁館

名護市に建設されたこのコンベンション施設の名称は「万国津梁の鐘」に由来し、現在でも会場が利用されていない時は無料で見学ができるほか、1日1組限定のリゾートウェディング会場としても活用されています。

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