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海と風が紡いだ物語。沖縄の歴史をたどる。「沖縄の歴史」特集一覧

琉球史の流れ:按司たちの群雄割拠、グスク時代から統一王朝「琉球王国」へ

グスク時代の按司

農耕が盛んになり、人々が徐々に内陸で生活するようになっていくにつれ、村落内外の様々な共同作業が必要となります。こうして生まれていった大きな地縁集団をまとめる人物も必要です。
各地に人々を統率するリーダー・支配者として「按あ司じ」が現れました。
各地の按司たちは「グスク」と呼ばれる城を築き、そこを拠点としていきます。

この時代、東アジアでは中国(宋)を中心とした貿易が盛んに行われており、琉球諸島にも多数の商人がやってきました。そうした交易の中心となった按司たちは、富や武力を蓄え、周辺の按司と戦いながら勢力を拡大していったと考えられます。こうして大型のグスクを築き、多数の按司を従える按司は「王」と呼ばれます。

こうした按司たちによる動乱を経て、14世紀には多くの按司が3つの国に束ねられ、沖縄本島は北山(山北)・中山・南山(山南)と呼ばれる三つの勢力圏に分かれていくのです。

三つの小国家による争乱の「三山時代」へ

14世紀に入り、沖縄本島は三つの小国家による争いが繰り広げられる「三山時代」に突入します。

すなわち、今帰仁グスクを拠点とした北山王国、浦添グスクを拠点とした中山王国、島尻大里グスク(島添大里グスク)を拠点とした南山王国が形成されていくのです。

現在でも沖縄本島は北部(国頭くにがみ)、中部(中頭なかがみ)、南部(島尻)の三つに分けて語られますが、この三山時代の名残りだと言われます。

王国代表的なグスク支配地域
北山(山北)王国今帰仁なきじん本島北部
中山王国浦添、首里本島中部
南山(山南)王国大里、玉たま城ぐすく、糸数いとかず本島南部

三山を統治した按司は「王」を名乗り、領内で政治的、軍事的な権威を行使しました。とはいえ、その小国家の内部の按司たちの中でも勢力争いは度々起こっていたようです。

三山統一、「琉球王国」へ

15世紀に入ると、南山王国の支配下にあった佐さ敷しき按司(拠点:佐敷上グスク)思し紹しょうとその息子尚しょう巴は志しが、1406年に浦添グスクを攻め、中山王武ぶ寧ねいを滅ぼして中山王国を支配します。

こうして思紹が中山王となった直後、尚巴志は中山の拠点を浦添グスクから首里グスク(首里城)に移し、居城として整備。のちの琉球王国の基礎が出来上がりました。

その後、1416年に尚巴志は北山王国の拠点今帰仁グスクに大軍を送り、北山王攀はん安あん知ちを滅ぼしました。この時点で三山の統一までは残すところ南山王国のみとなります。

その後、1421年に死去した思紹の跡を継いで第一尚氏二代目の王となった尚巴志は、1429年に南山王国の居城、島尻大里グスクを攻撃。南山王他た魯る毎みーを滅ぼし、統一国家「琉球王国」が誕生しました。

なお、この天下を統一した尚氏の王統を「第一尚氏王統(王朝)」と呼びます。


参考文献
高良倉吉, 1993, 『琉球王国』岩波新書
新城俊昭, 2014,『教養講座 琉球・沖縄史(改訂版)』編集工房 東洋企画
JCC出版部, 2011,『絵で解る琉球王国 歴史と人物』JCC出版
首里城研究グループ, 2016, 『首里城ハンドブック』首里城公園友の会

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