沖縄県の各地域で話されている言葉を表す「しまくとぅば」。
この「しまくとぅば」について、県内外で「沖縄方言」と呼ばれるのを聞いたことがあるのではないでしょうか。
その一方で、「しまくとぅばを方言と呼ぶべきではない」と言われることもあります。「しまくとぅばは方言ではなく言語である」というわけです。
果たしてしまくとぅばは「方言」なのでしょうか。
そもそも、「方言」とは一体どのようなものなのでしょう。
今回はその点を掘り下げていきます。
「しまくとぅば」は沖縄方言なのか
先ほど紹介したように、しばしば「しまくとぅば」は方言ではなく言語であると言われます。
でも、「方言」と「言語」との違いを考えることは普段あまりないのではないでしょうか。
さらに言えば、しまくとぅばもかつては「沖縄方言」という呼び方が主流だったのが、現代では「言語」に分類されているのです。どうしてこのような変化が起こったのでしょうか。
まずは「方言」と「言語」に一体どのような違いがあるのか、見ていきたいと思います。
「方言」と「言語」の境界は曖昧
結論から言えば、「方言」と「言語」を明確に区別することは困難だと言われます。
方言と言語は、その区別を言語学的にある程度定義すること自体は可能であるものの、実際には社会的・政治的・歴史的要因などが複雑に絡み合って分類されているというのです。しかも、言語学的な定義でさえ諸説あります。
このように考えるなら、方言と言語の境界線は非常に曖昧だと言えるでしょう。
とはいえ、ある程度の定義を確認することは重要です。
そこでまずは、多くの研究者が採用していると言われる「言語」「方言」の言語学的な区別をご紹介します。
言語と方言の言語学な区別――相互に理解できるか
言語学において、「方言」は、特定の地域・集団によって話される言語の「一変種」と定義されます。つまり、同じ言語の他の方言とは異なっているものの、特に学習しなくても互いにある程度理解できるというのが方言の特徴です。一方で、他の地域・集団のことばとは理解不能なほど異なっている場合、それは「言語」だとされます。
たとえば次のような関係です。
那覇のことばと宮古の言葉:互いに理解不可能なほど異なる……「言語」の関係
方言がグラデーションのように広がる「方言連続体」
とはいえ、「東京のことばと津軽(青森)のことばでは理解不可能なくらい異なっているではないか」と感じるかもしれません。
この点については、「方言連続体」という考え方があります。方言連続体とは、隣り合ったことば同士は理解可能で、それが連続していく状態を指します。つまり、東京のことばと津軽のことばだけで比較すると互いに理解できないほど異なっていますが、東京と津軽の間には互いに理解可能な言語が隣り合って続きながら徐々に変化していると考えることができるというわけです。
しまくとぅばの場合、たとえば那覇のことば(沖縄語)と宮古島のことば(宮古語)のように現在の沖縄県内であっても、それぞれの地域の言葉は「他のことばと互いに理解可能」という状態ではありません。したがって、しまくとぅばはそれぞれが言語であるとされています。
社会的・政治的・歴史的背景による言語と方言の区別
では、「言語」だとされるしまくとぅばはなぜ「沖縄方言」と言われることがあるのでしょうか。それには社会的・政治的・歴史的背景が影響していると言われます。
国語の制定
一つには「国語」の制定が挙げられます。
国民国家が形成されていく際には、国民の統合を果たして国民意識を育てるために、「国語」の制定というものが行われることが一般的です。結果として、中央で用いられることばを「標準語」とし、それ以外の地域の言葉を「方言」とされるケースがしばしばあります。
日本においても、かつて琉球王国が日本に併合された際に、「日本国民」としての意識を育てていくために、日本語普及政策が行われました。その中でしまくとぅばの使用は制限され、「方言」としての意識が植え付けられていったのではないかと言われることがあります。
アメリカ世の影響
また、第二次世界大戦後、1972年までの27年間、アメリカの統治下にあった沖縄は日本から切り離されていました(アメリカ世)。
その間、「琉球語」「沖縄語」など「〜語」という表現は沖縄(琉球列島)を日本から切り離し、遠ざける印象を与える言葉として好まれていなかったようです。そこで、「〜語」ではなく「〜方言」が用いられることが多かったと指摘されています。また、「同じ国の中にさまざまな言語が存在する」というのが日本では馴染みの薄い考え方であるというのも大きく影響していると言えるでしょう。
このような社会的・政治的背景から、言語学的には「言語」と呼ばれるべきしまくとぅばが「方言」と呼ばれる事態が起こっていると考えられます。
しまくとぅばの現状と未来
現在、沖縄におけるしまくとぅばの話者は高齢者層が中心で、若い世代では理解できない、あるいは話せない人が多くなっています。また、しまくとぅばを話すことのできる高齢者の中には、かつての日本語普及政策によって「しまくとぅば=悪・恥ずかしいもの」という印象が今でも刷り込まれている方も少なくないと言います。
現在では県を挙げて「しまくとぅば」の保存・継承に向けた取り組みが進められつつありますが、以前として各地域のしまくとぅばが消滅危機言語であることには変わりありません。
ことばはアイデンティティと結びつくもの。話者の大半が高齢者となってしまったしまくとぅばを独立した言語として認識し、貴重な文化遺産として受け継いでいくことは、重要な課題であると言えるでしょう。
参考文献
石崎博志(2015). 『しまくとぅばの課外授業』ボーダーインク
木部暢子(2011). 「2 言語・方言の定義について」『文化庁委託事業 危機的な状況にある言語・方言の実態に関する調査研究事業 報告書』, 国立国語研究所, pp.5-8
木部暢子ほか(2013). 『方言学入門』三省堂
東北大学方言研究センター(2012). 『方言を救う、方言で救う 3・11被災地からの提言』ひつじ書房
島袋盛世(2021). 『沖縄語をさかのぼる』白水社